神との対話に書いてあった。
「人生の目的はただ一つしかない。真の自分は、どんな自分で在るかを決め、真の自分になること。」だと。人生は、学びではなく、創造だと。
そこで、まず、現在の自分は、どんな自分だろうと、鏡を覗いてみた。自分が漠然と想像していたよりも、年取って厳しい顔つきの男がこちらを見ている。
時間とともに年を取ることは、自然の成り行きとして、受け入れなければならないが、でも、いつまでも若々しく、生き生きと、凛々しく、毅然としていたい。それと同時に好き嫌いを超えて人間理解に努め、愛に溢れた人間になりたい。その様な人物を創造し体験するなんて気の遠くなる話だ。しかし、それが人生の目的だと云う。
まだ、1合目まで達していない自分が富士山のテッペンを眺めているような気がする。
自分の過去を振り返って見ると、勝て気ままで、気分屋な僕を、無条件で愛してくれた友人が何人もいた。その人達は、忠告がましいことを一切言っていなかった。
今も、そうゆう人達が僕の周りに5,6人いる。半年ほど前、突然やって来て500坪ほどある庭を耕し、苗木や花を植え、風通し良くしなければと、全ての不必要なものを運び出し、太陽が沈む頃になるとあゝ今日も楽しかったと言って帰ってしまう。彼達がやって来るととても嬉しい。つい、大きな声で名前を呼んでしまう。とても、幸せを感じる。この人達は富士山の頂上の近いところにいるのだろう。時々のイベントでここに訪れる人達がすごく楽しいと笑顔ではしゃぎ回っている。
僕のワイフ市川みゆきが「ここの土地は、みんなを幸せにする為に神様からお借りしている。我々は管理を任されているのだ」と言っている。
この庭を富士山エンジェルガーデンと命名することにした。
神との対話の本に、全ての人間関係は、真の自分を創り上げていくチャンスだと書いてある。今後は、これらの好きな人達のみではなく、いろいろな人達と接して理解を深め、自分自身を愛で満たしたい。
こう在りたい、本然の姿でありたいと云う自分を創造し、体験するには大変な努力を必要とするだろう。残された人生の中で、曲がりなりにも何とか完成させて本来の自分を体験したいと願っている。
神との対話の本に、祈りとは「何々をお願いします」ではなく、「何々を叶えてくださってありがとうございます」と、前もって感謝を表明する事だと書かれている。
「神さま、人生の目的はなにか、の気づきを与えてくださってありがとうございます。これから頂上に向かいます。では行ってきます。」
でも、具体的に何を実行すべきか? を試行錯誤した挙句ふと、思い出した言葉がある。
「息を吸って私は静か。息を吐いて私は微笑む」
至高の目的に向かって背筋を伸ばし、毎日何十回か呼吸を繰り返すことにしている。車を運転しながらも。
スタニス ラフスキー曰く、
「困難なものを楽に出来るように、楽に出来るものを習慣に、習慣を美しいものに」と。
ZEN
☆プライベートレッスンのお知らせ☆
↓↓↓↓↓
http://zenhirano-acting.blogspot.jp/2016_05_01_archive.html…
0 件のコメント:
コメントを投稿