2016年6月19日日曜日

ゼン・ヒラノ演技ノート第16話

ゼン・ヒラノ演技ノート第16話
俳優の仕事 は感動を伝える仕事。

人間の心の奥深く住む天使を羽ばたかせ、これから語る物語の主人公の体験を全うし表現できる俳優は、世界に何人いるだろうか?
今回は、趣旨を変えて、東京クラスのぼくのスタッフであり、冠婚葬祭のナレーションの仕事をしている女性アスカの体験談を紹介することにします。(以下転載)
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ゼン先生へ
先程はお電話をありがとうございました。
それでは早速、先週お話した内容をメールにて送信させていただきます。

幼な子の死
それから月日が流れ、また新たに子供の葬儀の仕事が私のところに舞い込んできた。
それは映画・ドラマを飛びぬけて、これぞリアルな世界と心底に思わせ、一生忘れられない感動を私の中に刻み込んだ。
今、思い出しても涙があふれてくる。
その子は更に年齢が低くなり、まだ歩くこともできない赤ちゃんであった。
今回は病死であり、喪主夫妻はまた前回と違った様子を見せた。
朝、式場に入ると驚いた。
人の心を柔らかな笑顔にさせてしまう程のかわいらしさとあどけなさに包まれた赤ちゃんの顔写真がポスターほどの大きさに引き伸ばされ、それぞれ額に入り、足をつけ、5枚ほど半円を描くように置かれていた。その生きている写真に囲まれて、中央には遺体が収められた棺が安置されており、まるで天使と悪魔が共存しているかのようであった。それでも死を悼む部屋は、その悲しみを忘れさせるかのように温かな愛に包まれ、悪魔の存在を打ち消し、天使達が部屋中を遊びまわっているかのようであった。その天使のかわいらしさに胸を打たれ、足を踏み入れた瞬間に私の目には大きな粒の涙があふれ出てきた。
更に式場内を見れば、その棺に周りには親族が椅子を並べ、中を覗き込み、静かな涙を流しながら、次々に遺体の顔に触れていた。後にその遺体を見た時にわかったのだが、その顔はすやすやと眠っているとしか思えず、また人の心を吸い込む力を持ち、ずっと見ていても全く飽きさせず、人の顔を自然に笑顔にさせてしまう力を持っていた。だから親族が棺の周りでいつまでもいつまでも覗き込み見守っている気持ちが理解できた。できればこのまま保存をできたら…と思ってしまう程にかわいらしい寝顔であった。

やがてその部屋にその赤ちゃんの両親・喪主夫妻が入ってきた。
若き父親と着付けを終えた喪服姿の若き母親。
二人ともスレンダーで美男美女だった。特に母親は美しさに満ち溢れていた。しかしその美しさと正反対に一番の悲しみを抱き、一番の不幸を抱えている人だった。子供を失うということほど、辛いものはない。ましてや一緒にすごした時間があまりにも短すぎる。出産し、その喜びの中にいなくてはならないのにもかかわらず、今はあろうことか、もう永遠の別れに心を砕かれている。それを想うと、ただ同情という言葉では言い表すことのできない気持ちになる。

しかし私はその強い悲しみの中にいる人と打ち合わせというものをしなくてはならない。お話をするだけならまだしも、形式的なことを聞き、更にその悲しみに追い討ちをかけることになるかもしれないことを聞き出さなくてはならない。緊張と不安に体と心を震わせながらも、まずはその父親である喪主と打ち合わせをした。こういう場合、男親の方が幾分、話を進めやすい。そこで式進行にかかわることを聞き出し、やがて本題に入っていき、その赤ちゃんの紹介・ナレーションを入れるための材料を求めた。すると「そのことはやはり妻の方が…」と言われ、意を決して、今にも壊れそうな薄いガラスでできた母親に声をかけた。

その時、その不幸な若き母親は棺の横に立ち、棺の中に手を入れ、赤ちゃんの顔に触れていた。私が声をかけると、振り向き、顔を向けた。

驚いた。あまりにも美しい笑顔だった。最大の不幸を抱えている人とは思えない、正に『天女の笑み』であるかのように見えた。私はその場ですぐに場所を移動するのではなく、立ち話になってしまうが、その笑顔を奪うのではなく、そのまま笑顔の中でお話を伺うことにした。するとその母親は私の質問にずっと笑顔で答え、まるでわが子は亡くなっているのではなく、生きていますと言っているかのようであった。

その美しい笑顔は私の胸に深く焼きついた。
通常ドラマや映画の世界では涙を流し、半狂乱を描きがちである。
しかし現実は違った! 
その現実は私の心を奪うものであった。
そしてこの現実のドラマはさらに感動的な展開を見せる。

それは火葬場での出来事である。
静寂のうちに告別式を終えた後、この遺族・親族に心を尽くすべく、火葬場への同行までの仕事を指示され、親族とマイクロバスに同乗して行った。

到着すると、まず棺を火葬場の台車へと運び、火夫により遺族親族は焼くための釜の前へと案内されていった。私は火葬中の待合室の準備などをするため、その場を一旦離れた。しかし、初めて行った場所、またやり方も他の火葬場と違っており、戸惑うことが多く、それでも準備を終え、釜前に行くと、いよいよ棺が釜の中に入れられる時を迎えていた。
その時それまで一切泣き叫ぶことがなかった若き母は突然ところかまわず叫びだした。葬儀の式中も焼香の際も静かに涙を流す程度で、一切声を出すことのなかった人が、わが子を、わが子の名前を呼ぶ声を体中から絞り出し始めた。その声は大きく、それまで静寂の中にいた広い空間で駆け回った。何度も何度も叫ぶその声は、最後のわが子への呼びかけであるようでもある。それでも火夫は、その母の断末魔のような声を背中に受けながらも棺を釜の中にゆっくりと押し入れていく。するとその若き母は更に声を荒げ、わが子の名前を叫び続ける。

『お願い。やめて!! その中に入れないで!!』
心の中での叫びが文字として見えてくる。

それでも火夫は止めることはしない。するとその若き母親はいよいよ釜の中へと投じようと身を乗り出し始めた。その行動に対して、その場にいる全ての人が若き母親の気持ちを理解し、反論するものは誰一人としていなかった。しかしその行動は止めるしかない。そのためその若い母親の両親が二人で娘の体に手を回し、死のトンネルから必死に生の世界へと導く。それでもその若き母の体は子供が運ばれていく暗いトンネルの中に向かう。それを更に体で押さえ込もうとするその両親の目には大粒の涙が大量に流れていた。それを見ていた私の胸は震え、今思い出しただけでも、両の目から涙が溢れ出す。

そして、火夫は下された仕事を全うした。しかしその火夫の背中にも涙が流れていた。
やがてその釜に火が点火され、燃える轟音がかすかに聞こえ始めた。

そのあと、私は涙をそっとぬぐい、静かに声をかけ、遺族・親族を控え室へと案内する。その控え室は狭く、30脚ほどのイスに長テーブルが二列に並び、その上にはお菓子類など一切置かれていなかった。その準備をしたのは私である。あろうことか、私はその火葬場への同行の仕事の内容をしっかりと把握できておらず、またお金が絡んでくるために、飲み物やお菓子類はその喪主夫妻に選んでいただくことにしたのだった。そして売店まで案内すると、先程まで泣き叫んでいた若き母はテキパキと人をもてなすための心を発揮し、次々に飲食物を選んでいく。私は自分のふがいなさに情けなくなった。

約1時間の待ち時間の中では、その不幸な若き母親は自分が置かれた状況を忘れたかのように、親族をもてなし、声をかけていた。その行動力に更に驚かされると共に、敬服し、心の中まで美しさに覆われている人であると感じた。

そして収骨の時を迎える。
ほんの1時間ほど前に釜に向かって泣き叫んだ母。さて、この後収骨の時はどうなってしまうのだろうかと気がかりを抱きながらも、収骨室へと案内した。そしてあとのことは火夫に任せ、私は待合室への後片付けに行った。そのため収骨には一切立ち合ってはいない。そこで不幸な若い両親が、そして親族がどのような状態であったのか、まったくわからない。ただ自分の仕事を終えた私は、収骨室の扉の前で、親族が出てくるのを待った。すると、突然その扉は開かれ、中から遺族・親族が、喪主夫妻を先頭にして、出てきた。

この時、またしても心の奥底から驚かされた。
あの泣き叫んだ若き母親の顔には、幸せに満たされた天女の笑みが輝きを戻していたのである。そして遺骨を抱きながら、
「私のところに戻ってきた〜。戻ってきたよ〜。」
と何度も何度も言いながら、心から喜んでいる。そこに不幸な母の顔はない。まるで宝物を手に入れたかのようである。わが子供をしっかり抱いているようである。しかし手にしているのはわが子の骨であり、重くて硬い骨壷なのである。そのギャップに、見ている側は胸を打たれ、言葉を失いながらも、その美しい天女様に、笑顔を返すしかなかった。

そして式場に戻るためにバスに案内をして、私も同乗をする。
移動の間、その若き母は遺骨となった骨壷のわが子を抱きながらずっと話しかけていた。
車屋を見かけては「ブー・ブーだよ」
公園近くに来れば「水上公園だよ。前に約束したよね。今度一緒に行こうね」

それは本当に生きている子供に話しかけているようであり、そこには涙は一切なかった。涙を流していたのは、その周りの者達であり、特にその若き母の母は、娘の不憫さを思い、孫との別れに泣き腫らした目に追い討ちをかけるかのように辛い涙を流していた。

今、思い出しても胸が詰まる。涙なくしては語れない話である。
この葬儀は予想を次々に裏切り、現実の世界は想像を上回る美しさと感動を呼ぶことを私に教えてくれた。

あの赤ちゃんの遺体と思えない可愛くてあどけない寝顔と若き母の美しい笑顔は私の心の中から消え去ることはない。アスカ

注)先週のクラスで 一人一人に、自分のこれ迄の人生で深く感動した体験をみんなに語って貰うことにした。自分の体験した、深く心に残る感動を人に伝えられなかったら、ましてや、俳優として、台本に書かれた役の感動を伝えるのは、無理だからである。アスカの体験談の発表は全ての生徒の涙を溢れさせた。ZEN

《ゼン・ヒラノ直接指導 プライベートレッスン》
定員 2名のみ
期間 月2回 (隔週置き) 3ヶ月間 計6回 
時間 12:00から16:00まで
        曜日は本人の希望を考慮して決めます。
場所 河口湖 ゼン・ヒラノ スタジオ
料金 36万円 (分割可能)

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