2016年6月1日水曜日

ゼン・ヒラノ演技ノート13話

ゼン・ヒラノ演技ノート13話
俳優の表現力、楽器について。

前回の俳優の表現力について、もう一歩踏み込んで考えて見たいと思う。
演技は非常に芸術に成りにくい。
何故かと言うと音楽や絵画では、表現のために使われる素材そのものが美しい。
ピアノと云う楽器を例に取れば、既に、調律されていて誰が弾いてもそのピアニストの指のエネルギーとタッチを正確に反映して美しい音を出し、美的に構成されたリズム、メロディーに従って表現されていく。
たとえ嫉妬心や怒りを表現する場合でも調律れた音を使って美的に表現される。
自分の外にある楽器を使って自由に表現される。
つまり、ピアニストと楽器は別々に存在する。

一方、俳優はその体に演奏者と楽器が一緒に住んでいる。
日常生活で使っている声、からだ、言葉、思考、感情等美的素材で無いものがアートの表現材料になる。俳優は、がさつな感情を表現するのに、ピアノと違って、がさつな声を使う。
又、人間は、社会生活に適応するための訓練を長々受けて、俳優に必要なあるがまま、感ずるがままを表現すると云う訓練を受けていない。
人間と云う楽器は調律されていないので時と場合に従って勝手な音をだす。
つまり嘘をつく。嫌いなのに好きそうな顔をしたり、退屈なのに興味深い顔をしたり、パニック状態なのに平静を装う。

そこで、俳優と云う楽器は、喜怒哀楽をあるがままに、感じるがままに表現出来るように、訓練し直さなければならない。(紋切りの演技は別として)
俳優になる訓練は子供になる訓練だと言われる所以である。子供は今、笑っていたと思ったら、泣いたり怒ったり、物を投げたり感じたことを表すのに時間差が無い。
それには、俳優は体のあらゆる部分をリラックスさせて感情、思考、衝動が体のどこにも邪魔されることなく自然のコースを通って眼に、表情に、体に表現されるよう訓練する必要がある。
ある俳優が素晴らしく豊かな情動や想像力を持っていたにしても、この調律されていない楽器のせいで観客に感動を伝えることが出来ないでいる。

ここで断っておくが、歌舞伎や能などはスタイルの演技であって、情動が自然のコースを通るのではなく、与えられたホームのなかでリアリティーを表現することを要求される。

トップクラスの俳優を観察してみよう。
彼等の感情は体の抵抗を受けずに眼に流れ込む。
眼は魂の窓。魂が眼の色を変える。良い俳優かどうかは眼を見ればわかる。
よって、

俳優訓練の最重要課題は、リラックスを習得することである。

では、感情をコントロール出来なくなるのではと、心配する人もあるかもしれないが、
人は、社会でブレーキをかけることをさんざんやらされてきた。ブレーキをかける達人である。いつでも、どこでも必要に応じてブレーキをかけられる。したがって、ブレーキをかける訓練は不必要。
俳優に必要なのは、衝動に従う訓練すなはちブレーキをかけない訓練だ。
ZEN

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